2010年5月31日月曜日

推測

明日香村の石舞台古墳は・・・。

2010年5月30日日曜日

なぞる

「the monuments of nineveh from drawings」で検索。
他に検索。
上記サイトの中から、コロやテコを使用した画像があったので、一部分をペーパーにトレース(なぞった)した。

2010年5月29日土曜日

播磨国風土記 (713年編纂)
「聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」の記述から、石造物を誰がいつ頃造ったのか推測できない。

上記検索結果から、フォトショップで画像をなぞる。



紀元前1880年頃、エジプトの壁画。
台座の前方に立って、そりの摩擦抵抗を減らすために液体(潤滑剤)を注いでいる。

2010年5月16日日曜日

謎の石

東京都立O高校教諭糸原二郎宛の通信。
《卒業生を送ったあと、学期末テスト、進学の組替え、新入生の受入れ準備などで担任の先生方は「雑用」に追われてお忙しいことでしょう。そこへゆくと私などは時間講師の気楽さ、大和あたりをぶらぶら歩いているのが申し訳ない次第です。
今日は兵庫県の高砂市に来ました。市から北4キロばかりのところに「石の宝殿」というのがあり、それを見に来たのです。山陽線の宝殿という駅で降りました。
(中略)
とにかくこれが生石神社の御神体です。『播州名所巡覧図絵』には江戸時代のこの様子がよく出ており、その部分を複製した版画を社務所からいただきましたので、一枚お送りします。
この巨石のことは『播磨国風土記』印南郡の条にも出ています。国文学の好きな糸原先生にはこのほうが興味があろうかと思います。「原の南に作石あり、形、屋の如し。長さ2丈、広さ1丈5尺、高さもかくの如し、名号を大石といふ。伝えていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」。
いまは、参拝者も少ないということです。
私の「謎の石の旅」はこれでおしまいです。高須通子》(火の路・松本清張より)


猿沢池の方角

カメラマンらしく坂根は愉しそうにいった。猿沢池の方角には進まないで、途中の宝物館の角から北円堂のほうに折れた。
(中略)
北円堂の前では老人夫婦が八角の屋根を見上げて立っていた。走り回っている子供が若い母親に呼ばれていた。
賑やかな街の入口になった。(火の路・松本清張より)

2010年5月10日月曜日

停留所

通子が県庁前停留所でバスを降りて歩いていると、カメラの道具を肩にかけ、たたんだ三脚を手にもって向こうから歩いてくる髭面の男を見かけた。
先方でもこっちに眼をとめて、まだ距離があるのに頭をさげて笑いながら近づいてきた。
「昨日はどうも失礼しました」(火の路・松本清張より)


(EBONY RW45+ゆめいろのえのぐ)

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