東京都立O高校教諭糸原二郎宛の通信。
《卒業生を送ったあと、学期末テスト、進学の組替え、新入生の受入れ準備などで担任の先生方は「雑用」に追われてお忙しいことでしょう。そこへゆくと私などは時間講師の気楽さ、大和あたりをぶらぶら歩いているのが申し訳ない次第です。
今日は兵庫県の高砂市に来ました。市から北4キロばかりのところに「石の宝殿」というのがあり、それを見に来たのです。山陽線の宝殿という駅で降りました。
(中略)
とにかくこれが生石神社の御神体です。『播州名所巡覧図絵』には江戸時代のこの様子がよく出ており、その部分を複製した版画を社務所からいただきましたので、一枚お送りします。
この巨石のことは『播磨国風土記』印南郡の条にも出ています。国文学の好きな糸原先生にはこのほうが興味があろうかと思います。「原の南に作石あり、形、屋の如し。長さ2丈、広さ1丈5尺、高さもかくの如し、名号を大石といふ。伝えていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり」。
いまは、参拝者も少ないということです。
私の「謎の石の旅」はこれでおしまいです。高須通子》(火の路・松本清張より)