(画像は川原寺跡から橘寺を望む。2011/2/25)
梅だけは満開だった。農家の垣根の中にも、寺の塀の内側にもそれがある。くすんだ百姓家の屋根を背景にしてみると、枝に雪を置いたように見えるのだが、大和に多い白壁が後ろだと花の様子が分からない。げんに松林の中に咲いている一本の梅も、せっかくのことながら寺の細長い白塀のために目立たずにいた。その寺が川原寺だった。(火の路・松本清張より)
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川原寺は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われるが、正史『日本書紀』にはこの寺の創建に関する記述がない。そのため創建の時期や事情については長年議論され、さまざまな説があり、「謎の大寺」とも言われている。平城京遷都とともに他の三大寺(飛鳥寺、薬師寺、大官大寺)はその本拠を平城京へ移したが、川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまった。平安時代最末期の建久2年(1191年)の焼失後は歴史の表舞台から姿を消し、発掘された瓦や塼仏(せんぶつ、土で作り焼成した仏像)、堂塔の礎石以外には往時をしのばせるものはない。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部転載)
2011年2月11日金曜日
2011年2月11日
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