来年は、よくなると思えない・・・。
TVは、何をいってるんだかよくわからない。
「おもてなし」って、どうよォ。
(歪みを画像修整) |
リーフレットをなぞる作業はしんどいし、文字を追っているだけで内容を把握せずに終えてしまう。
ただ、作業中にピッピと何かが浮かんでくるような感覚がある。
平成24年度企画展
土器からのメッセージ
平成24年12月5日(水)~平成25年4月21日(日)
◆開館時間
9:00~16:30(入館は16:00まで)
◆入館料
一般200円 小・中学生100円
(団体20名以上 一般150円 小・中学生50円)
◆休館日
毎週月・火曜日(祝日の場合開館)、祝日の翌日
年末年始(12/28~1/4)
[体験講座]
「施文と拓本にチャレンジ」 事前申し込みが必要
色々な施文具を使って、自分たちの手で粘土に文様をつけたり、土器の文様を写しとったりする拓本などを体験します。本物の土器にふれる絶好の機会ですので、皆さんふるって参加してください。作品作りもあります。
○開催日時とコース
コース 親子の部 一般の部
開催日・時間
平成25年2月16日(土) 9:00~10:30 14:00~15:30
・希望コースを選んでください。
・親子の部は子どもさんにも理解できる内容で実施します。
・親子の部は小・中学生とその保護者が対象です。それ以外の方は一般の部で参加してください。
○定 員 各コース20人(先着順、定員になり次第締め切ります。
○参加費 一人あたり300円(材料費)
○講 師 当センター職員
■申込方法
往復はがきにご希望のコース及び、参加者の住所・氏名・年齢(学校名・学年)・電話番号を記入の上、〒633-0074桜井市芝58-2桜井市立埋蔵文化財センター「体験講座」係までお申し込み下さい。折り返し参加証を送付します。
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土器は語る
みなさんは、日ごろ博物館や資料館で土器を目にすることが多いと思いますが、それらの土器をよく観察してみてください。その中には、表面に様々な模様がついているものがあるのに気付きましたか?例えば何本もの平行した線が、水が流れているかの如くきれいに描かれたもの、あるいはギザギザの模様が規則正しく繰り返して付けられたものなど・・・。縄文土器によくみられるように、撚(よ)った糸を土器の表面に転がして模様をつける方法は、“縄文土器”の名称の由来にもなったほどで、このことはみなさんもよくご存じでしょう。また弥生土器によくみられるように、表面に動物や建物などの絵を描いたもの、あるいは記号のような印がつけられたもの、奈良時代や平安時代の土器に至っては、なんと文字まで書かれたものまであります。このように土器につけられた模様、絵あるいは文字などは、どのような理由からつけられたのでしょうか。また何を意味し、私たちに何を語りかけようとしているのでしょうか。今回の企画展では、土器から発せられる古代からのメッセージを皆さんと一緒に解読していくことにしましょう。
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土器につけられた様々な文様
土器につけられた模様をよく観察すると、模様の構成にある一定のリズムで描かれているものや規則性を持ったもの、また図柄のバランスを意識したものがあることに、皆さんは気付くと思います。これらの模様は「文様(もんよう)」という言葉で表現されます。言い換えれば、装飾のために様式化したモチーフを同一の図柄などのように規則正しい繰り返しによって構成されたものなのです。さらにこれらの文様には、各時代によって様々なデザインがみられ、自動車のスタイルのように流行があります。このことから発掘調査では、出土する土器の文様が、遺構の時期を決定するための重要な手掛かりの一つになっているのです。この項では、縄文土器と弥生土器について、描く時期にどのような文様があったのか見ていくことにしましょう。
縄文土器に見られる文様
さて、わが国において土器に文様が現れるのは、いつ頃からなのでしょうか。それは縄文時代からといわれています。縄文時代といえば、土器が初めて登場した時代であり、土器が発明されるや否や古代の人々は、すぐに自分たちが作り出した土器に多彩な文様を付けはじめました。この頃の文様は、人の爪や貝殻、あるいは縄目などの簡単な道具を使い、幾何学的な文様をつけていました。縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6つの時期に分けられ、地域や時期によってかなり文様に特徴がありますが、その代表的なものを見ていくことにしましょう。
草創期(約1万5千~1万1千年前)と呼ばれる頃は、土器の口縁(こうえん)部に粘土紐を貼り付けた隆起線文(りゅうきせんもん)や人の爪や箆で引っかいて文様をつけたような爪形文(つめかたもん)、そしてその後、撚った糸の縄目を押し付けた縄文が現れます。現在、桜井市内で出土した土器の中で最も古いといわれている早期(約1万1千~7千年前)頃の土器片には、人の爪で押したような押型文(おしがたもん)が施されています。ちょうどこの頃、西日本では刻み目を入れた細い棒状の道具を転がして、連続的な山形・楕円・格子目を土器の表面につける押型文が現れます。次の前期(約7千~5千年前)頃には半分に割った竹管(ちっかん)状の施文具で円や波sるいは平行線をつける竹管文、縄目を左右に使い分けて押し付ける羽状縄文(うじょうじょうもん)、二枚貝を押し当てたま引きする貝殻状痕文(かいがらじょうこんもん)などが登場してします。中期(約5千~4千年前)頃には、皆さんがよく知っているあの燃え盛るような力強い表現を持った火焔(かえん)型土器が東日本で登場してきます。そして後期(約4千~3千年前)頃には、縄文を施した部分と逆にそれを磨(す)り消した部分とを対比させる磨消縄文(すりけしじょうもん)が、晩期(約3千~2千3百年前)頃、西日本では土器の表面を無文のまま残して、簡素化されるようになったのとは対照的に、東日本でその文様が亀ヶ岡式(かめがおかしき)土器に代表されるような具象化されたものをモチーフにした雲形文(くもがたもん)や工字文(こうじもん)など精巧な文様が施されるようになりました。一方でこの頃から、土器の製作は次第に専門化していったともいわれています。
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弥生土器に見られる文様
次の弥生時代に登場する弥生土器も、土器の表面にいろいろな文様が施されたものが登場してきますが、縄文土器で見られた力強く、あるいは呪術的な意味合いの持ったものから、平面的で端正な美しさを持った文様へと変化していき、形態もそのものの美しさを追求していきます。またこの時代には土器を回転させて文様を施すという手法も登場し、文様の種類はバラエティーに富んでいます。ここでは大和でよくみられる典型的な弥生土器を例に、その文様を見ていくことにしましょう。
●文様の名称が施文する工具に由来するもの
弥生土器では表面をよく見ると、箆状の工具を用いて線を引いたものや櫛状の工具を用いて綺麗な平行線を引いたものがあります。前者を箆描文(へらがきもん)といい、後者を櫛描文(くしがきもん)といいます。このように弥生土器では文様をるける際、用いる工具によって大きく文様が二つに分けられます。箆描文には、沈線(ちんせん)と呼ばれる細い線が引かれています。弥生土器の中でも箆描きは、櫛描文よりも古くから見られ、前期頃には主に壺の頸部(けいぶ)に沈線を施した土器が登場します。しかしながら、箆状の工具についてはその特定が難しく、針のように細く尖らせた木・竹、あるいは骨が使われたのではないかと考えられています。
一方、櫛描文は中期頃から見られる文様で、弥生土器によくみられる文様です。土器の表面に規則正しく平行に走る沈線が特徴で、板を櫛状にしたもの(イグサを用いたという説もある)を使ったのか箆を何本か束ねて引いたのかわかりませんが、櫛描文が施された弥生土器は、その曲線が美しく女性的な魅力を感じることができます。
●文様の名称が技法に由来するもの
文様の名称が技法に由来するものとして、まず凹線文(おうせんもん)があげられます。回転する土器の表面に、おそらく指先を押し当てて描かれたのではないかと考えられる文様で、断面はトタン板のように波板状になっています。また凹線文は、指先の他にも布や皮などを使って施文されたとも考えられています。
その他、凹線文以外にも、粘土を土器の表面に貼付けて装飾性を高めたものもあります。それらの代表的なものに、貼付突帯文(はりつけとったいもん)と呼ばれる文様があります。この文様は帯状の粘土紐を土器の表面に巡らせる方法で、紐の表面に刻目などを施したものがよく見られます。貼付文には貼付突帯文のはか、棒状の粘土紐を土器の縦方向に張り付けた棒状波文(ぼうじょうふもん)や薄くボタン状にした粘土を貼り付ける円形波文(えんけいふもん)などがあります。
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製作技法によって痕跡がついたもの
土器を製作する方法に「手捏(てづく)ね」や「輪積(わづ)み」、あるいは「巻き上げ」などの方法がありますが、これらの方法では、土器の表面にできた凹凸や継ぎ目などがどうしても目立ってしまいます。これらの問題を解消するために古代の人々は、表面を整形してきれいに均す工夫を行っていました。この技法は「調整(ちょうせい)」などと呼ばれ、一般的に装飾の意味合いの強い「文様」とは区別されます。調整と呼ばれる技法には様々なものがあり、代表的なものをいくつか紹介しましょう。
[ミガキ]
石や竹あるいは二枚貝の貝殻など表面の滑らかなものを利用してどきの表面を均す技法です。これを行うことによって表面の砂粒は内部に入り込み、表面が滑らかになります。箆状の工具を用いて磨く箆ミガキという技法は弥生土器によく見られます。
[ケズリ]
土器の表面や内面を箆状の工具などを使って削り取ることによって形を整えたり、厚みを調整したりします。箆ケズリとも呼ばれています。ケズリをされた土器をよく観察すると、土器を削る際に小石が動いたと思われる跡が残っています。
[ハケメ]
針葉樹などの薄い板の木口(こぐち)(切断面)を利用し、土器の表面を撫でて平に整える技法です。木口で撫でることによって、木目の凸凹がそのまま土器の表面に幾本かの平行線を形成します。ハケメの特徴は、線がきれいな筋状に伸びているのが特徴です。またハケメは、古墳時代の円筒埴輪の表面を整える際にもよく見られる技法です。
[ナデ]
土器の表面を撫でて滑らかにする技法で、非常に緻密な擦痕(さっこん)が残ります。おそらく指先や布、あるいは皮などを使ってつけられたと考えられます。先述の凹線文もナデの技法によって生まれたものです。またナデには撫でて土器の表面を整えるものから、粘土を掻きとるようなものまであります。
[タタキ]
土器を製作する時に叩き板と呼ばれる羽子板状の道具と内側を押さえる当て具とを整える技法です。表面を叩き締めることで粘土の中に入っている空気を抜いたり、土器を薄くしたり、より大きくしたりできます。また叩き板には粘土が付着しないように刻み目が入れられているため、タタキが施された土器の表面には、縦や横方向に連続した縞模様や格子目の文様がついています。時代が進むにつれて、これらの文様自体が次第に装飾性を持つようになったともいわれています。
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絵画土器と記号土器
土器の表面を飾ったり整形したりする方法は、施文や調整だけに限りません。土器の中には、表面に絵が描かれたり記号がつけられたりしているものまであります。皆さんの中にも、絵画土器や記号土器という言葉を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
奈良盆地東南部から多く出土
弥生時代、近畿地方では土器に絵や記号を描いたりすることが流行しました。これらの土器は絵画土器、あるいは記号土器などと呼ばれ、大和では田原本町の唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡を中心に出土し、桜井市内では芝(しば)遺跡・大福(だいふく)遺跡などから出土しています。そしてこれらの多くが、奈良盆地東南部に集中しています。絵画土器に至っては、全国から出土したもののうち半数以上が、奈良盆地東南部からのものであるとも言われています。また過去の出土例を調べてみると、絵画土器や記号土器は、圧倒的に壺に描かれていることが多いことがわかってきました。さらにこれまでの研究から、これらの土器は祭祀に用いられたのではないかと考えられており、廃絶した井戸、あるいは河川や溝からの出土例が多いことから、水に関する祭祀の場で使われたのだろうという説もあります。一方、時代は新しくなりますが纒向(まきむく)遺跡でも、古墳時代前期頃の祭祀土坑と考えられる穴から、箆状の工具を用いて線刻が施された壺が出土しています。これまで纒向遺跡で多数見つかっている土坑群についても、それらの大半が湧水点(ゆうすいてん)まで掘り下げられていることや、中から出土する遺物に祭祀に関するものが多いことから、以前から研究者の間では、水と祭祀の関係が指摘されていました。今回の発見例もやはり、これらの土器と水を使った祭祀との関係を示す資料として、興味深い発見例といえるでしょう。
さて、絵画土器や記号土器に描かれている題材には、どんなものがあったのでしょうか。それらを調べてみると、絵画土器では鳥獣・魚などの動物や人物・建物など自分たちの身の回りのものが圧倒的に多く、中には長頸壺(ちょうけいつぼ)に鏃(やじり)を描いた珍しいものまであります。記号土器では箆描きで直線や曲線を組み合わせたもの、竹管文と呼ばれる竹の断面を押し付けたような「◎」文様などがあります。土器に記された記号は、これまで土器の製作者や所有者を特定するためのものと考えられてきましたが、近年の研究でこれらの記号は、絵画土器に描かれた絵の一部を取り出したものを表現しているとの考えもあるようです。
みなさんは、絵画土器や記号土器が、祭祀の場で使われていたかもしれないなんた知っていました?弥生人が、単なる土器の装飾のために絵や記号を描いたのだと思っていたのに、本当に奥が深いお話ですよね。
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色々な文様
土器の表面につけられた文様には、これまで紹介したもの以外にも様々なものがあります。弥生土器を中心に以下に挙げてみました。例えば弥生土器によく見られる櫛描文は、描く際に上下に振ると波状文に、扇のように回すと扇形文に、平行線の端で振ると流水文になり様々な文様に応用できます。これらの文様は基本的に土器を固定して手そ動かして描いたようですが、弥生中期頃に手を固定したままで土器を回転させて文様をつける凹線文などが登場してきました。古代の人たちも私たちと同様に、日常使う道具に愛情をこめて土器を飾るという、実にオシャレな感覚を持っていたのでしょう。
製作途中に偶然ついたもの
土器に見られる痕跡は、土器の製作者が意図的につけたものだけたは限りません。製作途中に偶然ついたものもあります。これらは文様とは言えませんが、珍しい例として以下にあげてみました。
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墨書土器
墨書(ぼくしょ)土器は、土器に墨書きで文字や記号・絵が描かれたもので、奈良から平安時代を中心に発達しました。坏・碗・皿などをはじめ、甕や高坏にも見られます。発見される場所は、宮殿跡・官衙(かんが)遺跡・寺院跡・祭祀遺跡・集落跡などで、書かれている文字からその遺跡の性格を知る重要な手掛かりとなります。また文字の書かれている部位は、土器の側面や底部の内外面、蓋の内外面などで、文字数は一字から数字で構成されています。文字の多くは漢字で書かれており、一字のものには略字が多いのが特徴です。もた文字のあらわす意味については、吉祥句(きっしょうく)・地名・人名・所属名・数字・用途や仏教用語などがあります。
●人の顔を描いた土器
奈良時代や平安時代の遺跡を発掘すると、墨で顔を描いた土器が出土することがあります。これは人面墨書土器といい、土器を人の顔に見立てて、墨で耳・眉・目・鼻・口などを描いています。使われる土器も人の頭によく似た小型の丸底のものや鉢形のものが多く、出土する場所は河川や溝などの水路、井戸や池沼などです。
人面墨書土器については、錢貨・土馬(どば)・人形(ひとがた)・斎串(いぐし)などのまじないの遺物と共によく出土することが報告されており、「延喜式(えんぎしき)」には大祓(おおはら)いの儀式が終わると、これを川に流したという記述もあります。これが事実とすれば、土器に描かれているのは疫病神(やくびょうがみ)の顔でしょうか。このように古代の人々は自分達にふりかかった災いや穢(けが)れを、これらまじないの道具と一緒に水に流し、疫病退散を祈っていたのかもしれません。
箆で文字が書かれた土器
桜井市内では、平成2年の発掘調査で箆書きの文字が書かれた壺が発見されました。この壺の大きさは、高さ16cm・最大胴啓20cmの飛鳥時代の須恵器壺です。文字は胴部の波状文の下に縦書きに四文字がかかれ、“大阝所可”と読むことができます。和田萃(あつむ)氏の解読によると“大阝”は大伴部(おおともべ)と読み、下の二文字は名前で所可(そか)とよめます。つまり大伴部所可という人物がこの壺との関係が考えられ、注文者かあるいは所有者ではないかと考えられます。
■引用・参考文献
このリーフレットを作成するにあたり、下記の出版物を引用または参考にさせていただきました。
早坂優子「日本文様の歴史」『日本・中国の文様事典』(株)視覚デザイン研究所2000.1
「えひめ弥生土器文様素描」『まいぶんえひめ№29』財団法人愛媛県埋蔵文化財センター2002.12
藤田三郎「弥生時代の記号文」『考古学と古代史』同志社考古学シリーズⅠ 1982.10
□このリーフレットは、平成24年12月5日(水)から平成24年4月21日(日)まで、桜井市立埋蔵文化財センター展示収蔵室で開催される企画展「土器からのメッセージ」展の解説書として作成しました。
□この展示会は、(財)桜井市文化財協会が主催し、桜井市教育委員会文化財課の協力を受けて実施しました。
□展示資料は、会期中に一部陳列替えを行うことがあります。
□この展示会の企画及び本書の執筆は、(財)桜井市文化財協会 中村利光が行い、桜井市教育委員会文化財課 福辻 淳(財)桜井市文化財協会 丸山香代が補佐しました。また総括については、中村が行いました。
平成24年度 企画展 展示解説書
土器からのメッセージ
発行年月日 平成24年12月5日
編集・発行 財団法人 桜井市文化財協会
〒633-0074 奈良県桜井市芝58番地の2
印 刷 株式会社 明新社
〒630-8141 奈良市南京終町3丁目464番地
『土器カラノメッセージ』のリーフレットより