カタログ的素材。
世阿弥の母の像。
1962年(昭和37年)三重県上野市(現・伊賀市)の旧家から発見された上嶋家文書(江戸時代末期の写本)によると、伊賀・服部氏族の上嶋元成の三男が観阿弥で、その母は楠木正成の姉妹であるという。この記載に従えば、観阿弥は正成の甥ということになる。後に発見された播州の永富家文書を傍証に、この記載を真とする意見もあり、1975年に永富家子孫によって、伊賀市に観阿弥の妻(世阿弥の母)の彫像が立てられた。しかしこの文書の信憑性を巡っては議論が分かれており、この説は研究者の間では広く受け入れられているとは言い難い。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部転載)
比自山遠景。
天正伊賀の乱、比自山合戦の地
遠景。
しまった、閉まってるコーヒー店。
松尾芭蕉の句碑。
影待(かげまち)や菊の香(か)のす豆腐串(とうふぐし)
芭蕉五十歳の作。「豆腐串」(豆腐田楽)という日常的な素材に、「菊の香」の優雅なものを配し、「軽み」の作風の工夫がうかがえる。
敢国神社。
織田信長が敢国神社の辺りに休息している時に、大鉄砲にて狙撃するが失敗に終わったらしい。
音羽ノ城戸ほか二名。田楽。
鍵屋ノ辻。
伊勢街道と奈良街道の分かれ道。ここ鍵屋ノ辻は「一富士二鷹三なすび」で有名な日本三大仇討ちのひとつ伊賀越え仇討ちが行われた県史跡でもあり、「ひだりなら道 みぎいせみち」と記された道しるべが静かに歴史のドラマを語っています。(伊賀市より)
旧本陣。
島ケ原宿は、大和街道(奈良道)の要衝にあって、藤堂藩の時代、街道の宿場町としての賑わいをみせていた。
問屋場のほかに旅館があったが、そのうち大名に伴う武士たち、あおれに類する者たちの宿泊・休憩する宿屋がありそれを本陣と呼んだ。(島ケ原村観光協会)
島ケ原の行者堂。
本日の水分補給量 記載なし
走行距離 昨日 84.5 (GPSロガー値)
本日 57.9 (GPSロガー値)
暑い一日だった。
尻が痛いというシリーズ。