奈良を立ったのが早かったので、われわれは午(ひる)少し過ぎに上市の町に這入った。街道に並ぶ人家の様子は、あの橋の上から想像した通り、いかにも素朴で古風である。ところどころ、川べりの方の家並(やな)みが欠けて片側町になっているけれど、大部分は水の眺めを塞(ふさ)いで、黒い煤(すす)けた格子(こうし)造りの、天井裏のような低い二階のある家が両側に詰っている。歩きながら薄暗い格子の奥を覗(のぞ)いて見ると、田舎家にはお定まりの、裏口まで土間の入り口に、屋号や姓名を白く染め抜いた紺の暖簾(のれん)を吊(つ)っているのが多い。店屋(みせや)ばかりでなく、しもうたやでもそうするのが普通であるらしい。孰(いず)れも表の構えは押し潰(つぶ)したように軒が垂れ、間口(まぐち)が狭いが、暖簾の向うに中庭の樹立(こだ)ちがちらついて、離れ家なぞのあるものも見える。恐らくこの辺の家は、五十年以上、中には百年二百年もたっているのがあろう。が、建物の古い割りに、何処の家でも障子の紙が皆新しい。今貼(は)りかえたばかりのような汚れ目のないのが貼ってあって、ちょっとした小さな破れ目も花弁型の紙で丹念に塞いである。それが澄み切った秋の空気の中に、冷え冷えと白い。一つは埃(ほこり)立たないので、こんな清潔なのであろうが、一つはガラス障子を使わない結果、紙に対して都会人よりも神経質なのであろう。東京あたりの家のように、紙が汚れて暗かったり、穴から風が吹き込んだりしては、捨てて置けない訳である。兎(と)に角(かく)その障子の色のすがすがしさは、軒並みの格子や建具(たてぐ)の煤ぼけたのを、貧しいながら身だしなみのよい美女のように、清楚(せいそ)で品よく見せている。私はその紙の上に照っている日の色を眺めると、さすがに秋だなあと云う感を深くした。
実際、空はくっきりと晴れているのに、そこに反射している光線は、明るいながら眼を刺す程でなく、身に沁みるように美しい。日は川の方へ廻っていて、町の左側の障子に映えているのでが、その照り返しが右側の方へ家々の中まで届いている。
八百屋の店先に並べてある柿(かき)が殊に綺麗(きれい)であった。キザ柿、御所柿(ごしょがき)、美濃柿、いろいろな形の柿の粒が、一つ一つ戸外の明りをそのつやつやと熟し切った珊瑚(さんご)色の表面に受け止めて、瞳(ひとみ)のように光っている。饂飩(うどん)屋のガラスの箱の中にある饂飩の玉までがさわやかである。往来には軒先に莚(むしろ)を敷いたり、箕(み)を置いたりして、それに消炭が乾してある。何処かで鍛冶(かじ)屋の槌(つち)の音と精米機のサアサア云う音が聞こえる。
私たちは町はずれまで歩いて、とある食い物屋の川沿いの座敷で昼食を取った。妹背の山は、あの橋の上で眺めた時はもっとずっと上流にあるように思えたが、ここへ来るとつい眼の前に立つ二つの丘であった。川を隔てて、此方(こちら)の岸の方のが妹山、向うの方が背山、──妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)の作者は、恐らく此処(ここ)の実景に接してあの構想を得たのだろうが、まだこの辺の川幅は、芝居で見るよりも余裕があって、あれ程迫った渓流ではない。仮に両方の丘に久我之助の楼閣と雛鳥の楼閣があったとしても、あんな風に互に呼吸することは出来なかったろう。背山の方は、屋根がうしろの峰につづいて、形が整っていないけれども、妹山の方は全く独立した一つの円錐(えんすい)状の丘が、こんもりと緑葉樹の衣(ころも)を着ている。上市の町はその丘の下までつづいている。川の方から見わたすと、家の裏側が、二階は三階に、平屋(
ひらや)は二階になっている。中には階上から川底へ針金の架線を渡し、それへバケツを通して、綱でスルスルを水を汲(く)み上げるようにしたのもある。 (新潮文庫 吉野葛 谷崎潤一郎)より
まだ読みかけの途中であるが、『・・・?』についてのメモ。
素朴で古風 清潔で神経質 すがすがしさ 貧しいながら身だしなみのよい美女 清楚で品よく 身に沁みるように美しい 殊に綺麗 珊瑚色