2010年7月15日木曜日

石皿と磨石

(週刊朝日百科34「日本の歴史」からトレース)

石皿(いしざら)とは、粉砕や製粉作業に使われた大型磨製石器。すり潰すための石器である磨石と対になり、ドングリなど堅果類の製粉など植物加工をはじめ、顔料や土器の材質となる石の粉砕などの用途が考えられている。また、据付石皿や固定式石皿と呼ばれる住居に備え付けられた石皿もあり、まな板として調理に用いていたと考えられている。
素材は主に安山岩や砂岩など転石や河原石の石核を素材にする場合が多い。扁平な礫材を楕円形や長方形に整え、中央に浅い窪みが作られる。定住化の普及した縄文時代全期を通じて出土し、特に早期以降の集落遺跡で多く出土する。

メソアメリカの遺跡で発見される石皿は、特にメタテ(Metate)と呼ばれ、北米の遺跡などでも同じように呼称される。

磨石(すりいし)とは、縄文時代、主としてクリ・クルミ・ドングリなどの堅果類をすりつぶし、粉をひくために用いた礫石器のひとつ。棒状の長いものはすり棒と呼ばれることもある。球状または円盤状を呈する転石や河原石の原石(母岩)を加工せずにそのまま用いており、使用痕としては擦った痕跡ののこるものが多い。大きさはだいたい、成人男性の握り拳より一回り大きい程度。石皿と組み合わせて用いられることが多く、集落遺跡からの出土がほとんどである。なお、山形県押出遺跡や長野県大崎遺跡からは、堅果の粉による食品「縄文クッキー」の炭化したものが出土しており、粉食文化が広く普及していることを物語っている。磨石の出土は圧倒的に縄文時代に多いが、石皿とセットになっての出現は旧石器時代のナイフ形石器の盛行する時期にまでさかのぼる。

メソアメリカの遺跡で発見される磨石(すり棒)は、特にマノ(Mano)と呼ばれ、北米の遺跡などでも同じように呼称される。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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