2011年6月4日土曜日

高度な技術集団の移住

 前に述べたように、こういう状態をみていると、なんとはなしに、千数百年前の日本も、こういう状況であったのではないか、という感じがしてくる。──なにも、今の台湾が、千数百年前の日本と同じだ、というわけではない。こういうシチュエーションは、東アジアの周辺地域で、何千年もの歴史のあいだに、何度も起こったのではないか、という気がするのである。
 千数百年前の日本のことを想像してみよう。そのころ西南日本や、近畿方面にかなり強大な部族国家がいくつか成立していたとしても、それはまだ日本全土はおろか、西日本ですら「倭国連邦」も、その比定さえはっきりしないぐらいだから、どのくらいの規模かわからない。状況をひじょううに大まかに考えてみると、日本では、きわめて古く、前に述べたような早、前期の「北方型」縄文人が東北、関東山地を中心にして展開していたところへ、紀元前五十~四十世紀ごろに「南方型」縄文人の再展開があった。さらに前三~二世紀ごろから、南西方面より、弥生稲作人の平野部への展開がはじまった。そして紀元後二~三世紀には、もう関東、東北地方をのぞいて、日本列島の東西軸方向には、ほとんど展開を終えていたであろう。(本文より)

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