2011年7月14日木曜日

大陸の動乱

 そして、前三世紀戦国後期から末へかけて、この地では、前に述べたように、呉越の闘争と越の勝利、楚による越の征服、さらに三世紀末には、陝西(せんせい)より起こった秦の中国全土の征覇(せいは)、という大動乱と大政変が起こっているのである。──日本への水田稲作渡来は、この大陸における事件と、なんらかのつながりがあっても不思議ではあるまい。
 中国にはじめて絶大な中央集権国家をうちたて、郡県制をしいて、全土を巡回した秦の始皇帝は、有名な山東人徐福(じょふく)や盧生(ろせい)に大船をあたえて、東海の蓬莱(ほうらい)島に神仙を求めしめた、というが、西北に万里の長城を築いて狄戎(てきじゅう)を防いだ始皇帝は、東海にのがれたという周室の裔(えい)、あるいははるか前代の殷(いん)朝遺裔のことを気にして、神仙にかこつけて偵察させたのだ、という説もあるくらいである(余談だが、台湾の史家のあいだでは、徐福すなわち神武天皇だ、とする解釈が、かなり長いあいだ「常識」になっていた)。(本文より)

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