2011年9月9日金曜日

馬車文化

 近代以前に、日本に入ってこなかったものをしらべてゆくと、奇妙なことにいくつもぶつかる。
 たとえば、「戦車」などというものが、日本に入っていない。
 「戦車」といっても、第一次世界大戦のときに出現した、あの近代兵器としての「タンク」のことではない。馬に牽(ひ)かせる、戦闘用の乗物、──チャリオットのことである。はっきりいって、「馬車」が近代以前の日本に入っていないのだ。
 人類が馬を家畜にしはじめたのは、きわめて古い。──牛よりは新しいといっても、紀元前四千年代には、イラン、メソポタミア付近の村落址(し)で、家畜化の形跡があり、それから一時、古代遺跡中から姿を消すが、前二千年代には、もう車を牽き、人を乗せて姿を現す。古代インドの世界に中央アジア方面から南下して来たアーリア族や、エジプトに侵入したヒクソス、メソポタミアを武力征服したカッシートなどの諸族は、馬に牽かせた「戦車」を持っていた。 「戦車」はややおくれて東アジアにもあらわれる。古代中国の殷墟(いんきょ)の墳墓から出た、多数の馬の骨と戦車は有名である。──おそくとも紀元前一三〇〇年ごろまでに、東アジアには馬に牽かせた戦車が使われるようになっていた。重歩兵と戦車を中心とする軍団は、あぶみの発明によって、前十二世紀ごろから、しだいに機動力に富む騎兵中心にかわっていくが、それにしても、馬車がなくなったわけではなかった。とくにギリシア、ローマは、最後まで戦車を重視した。また、史上何度も文明圏をおびやかし、人類史を書きかえた遊牧民にとって、彼らの家族ぐるみの集団移動のありさまは、「動く都市」とよばれるほどだった。
(本文より)
 

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