拝火教は五世紀ぐらいから中国へぼつぼつ入りはじめたという。「五胡」という西方、北方のチベット、トルコ、モンゴル、ツングースといった、漢民族からみれば「異民族」にあたる、主として遊牧系諸族が、中国本土へ侵入し、次から次へ、各地にそれぞれいろんな国をたててはつぶした、いわゆる「五胡十六国」の時代の末、トルコ系である鮮卑の一族が華北を統一して、北魏をててた。南方では漢民族系の宋が興り、いわゆる「南北朝」の時代である。北朝も南朝も、その後、いろいろ分裂や王朝交替をくりかえし、最後に、トルコ系と中国系の混血児がたって中国全土を統一して隋をたてた。聖徳太子が使者を送った、隋の初代皇帝煬帝(ようだい)が、そのトルコ、中国の混血児である。(本文より)