2011年8月26日金曜日

宦官の欠落

 八世紀以降、東アジア周辺諸国で、日本ほどがっちりした律令国家をつくった例はめずらしいのだが、その日本の律令制度から、「宦官」の制が、すっぽり落ちてしまった理由は、法制史の謎とされている。
 「宦官」の制そのものは、ずいぶん古いものであって、遠く、前二十世紀ごろのエジプト、メソポタミアにさかのぼる、といわれる。──古代ペルシアにうけつがれ、インドにも入り、中国では秦のころからさかんになった。始皇帝の死後、宦官が勢いをふるって秦がたちまち滅んだ、という話は有名である。漢代を経て、唐のころには、異邦人をカン宦官として登用する制度がはっきりした。西では、サラセン、ビザンチンにこの制があり、中国は清代まで、近東ではオスマン・トルコまで、すなわち東西とも、十九世紀まで存続している。
 朝鮮半島の律令制には、これがちゃんと入っている。──南ツングースのつくった渤海は、どうだったかわからないが、トルコ族の国契丹や、女真、満州族の国金にはあったという。
 それが日本の律令制には、完全に欠落している。(本文より)

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