2011年8月4日木曜日

拝火教の広がり


 東京の青年は、二月堂の「火の祭り」と、それが「ダッタンの妙法」と呼ばれることから、ペルシアのゾロアスター教の影響を考えたらしい。──ダッタンとは、唐のころの中国人が、その当時、北方にいたツングース系や、モンゴル系、トルコ系の遊牧民を呼んだ名である。ふつう韃靼や達達と書く。お水とりの火と水の行は「達陀」(本文では陀の字は阝+女で表記)と書くが、どっちみち音にあてたものである。ジンギス汗のモンゴル軍が、怒涛(どとう)のようにヨーロッパをおそい、ロシアや東欧を席巻(せつけん)したとき、ヨーロッパ人は、この東方から来た連中を「タタール」と呼んだ。後世、モンゴル人は、自分たちのことを、韃靼やタタールと呼ばれることをたいへんいやがった。また、ダッタンやタタールというのは、どの部族を指すのかはっきりしないが、とにかく、匈奴(きょうど)、トルコ人、モンゴル人など、ユーラシアの北の方を東西に走りまわった、勇猛な遊牧民のある時期の呼び名である。
「ダッタン」と「火祭り」というふたつの言葉から、ペルシアの拝火教の影響を思いついた青年に、私はその「思いつき」のよさをほめたが、同時に軽率に「思いこむ」ことの危険をいましめた。(本文より

フォロワー