2011年11月4日金曜日

移動と定住

 生活空間や生活リズムそのものが、農業社会とは大いにちがう。──農業社会は、おおむね定着的である。移動性の比較的高い「焼畑農業」をいとなむ社会でも、一ヵ所にだいたい四、五年は定着する。これに対して、遊牧社会は、まさに「広域移動」でなりたっている。現在でも、中央アジアの典型的な遊牧地帯では、遊牧民は家畜とともに、夏冬のあいだに千キロメートルは移動している、という。──そもそも、遊牧社会のハード・コアが形成だれた乾燥地帯では、「動かなければ生活できなかった」のである。乾燥地帯は、その名のとおり、乾燥によって植物相はきわめて貧しい。寒帯、亜寒帯では、これに地下凍結や、日照量のすくなさが加わる。南方では、紫外線による土壌分解がすすんで、地味の貧因な所も多い。植物による土壌成分の肥沃化の度合いもすくないから、地味の養分低下はいっそう拍車がかかる。植物は、ごつごつした土地に、うすくまばらに生えるばかりだ。──そのかわり、十ミリ、十五ミリといった雨が降っただけで、一面の枯野や乾ききった砂漠が、一面にうす緑におおわれることもある。
 こういう地域では、灌漑土木がすすまないかぎり、農業は不可能である。北方へ行くと、降水量はかなりあっても、気温が低いために春蒔(ま)きの麦でも、十センチぐらいにしかのびない。──この痩(や)せた大地の表面を、うすく、広くおおう植物を、自分で歩きまわって「栄養」を集めてkyれるのが草原有蹄(ゆうてい)類である。そしてこの「自動栄養採集装置」の家畜のなかに凝縮された高カロリーの栄養に依存しているのが遊牧民である。──家畜を飼うのには、農業をやるときほどの水はいらない。乾期にも伏流水が顔を出しているオアシス、雨期には地上に生ずる川や水たまり、その周辺の草、文字どおりこれらの「水草を追って」遊牧民は移動してゆく。
 春から夏へかけて、「雨」のベルトは温風にのって、しだいに乾燥地帯の奥へと移動する。それを追って、遊牧民の家畜も移動する。冬期になると、寒気と風雪が南下し、草が枯れてくるにつれ、彼らもまたあたたかい地方へ移動するのだ。家──テントも、家財道具も、女子供も、老人も、社会の行政機関もすべてがいっしょに移動するのだ。中世ヨーロッパ人が、モンゴル人の生活を見て、「移動する都市」とよんだのも無理はない。山岳地帯へ──ときにはやむをえない事情で──定着した連中は、「水平移動」を「上下移動」にかえることがある。
夏は家畜をつれて、涼しい山岳地帯に雪線ちかくまでのぼって放牧し、冬になるとあたたかい低地へおりてくる。夏のあいだ、斜面から低地へかけて、粗放な農業を営むばあいもある。こういうばあい、山腹の「夏小屋」と、低地の「冬家屋」の二つを持つことが多い。
 いずれにしても、「遊牧社会」に不可欠な生活様式は「移動」であり、したがって彼らの「生活空間」は、近代以前においてはるか地平線の彼方、千キロにわたってひろがっていた。「定着・安住」が主たる生活様式で、よほどのことがないかぎり、「長距離旅行」に出かけない農業社会の民と、たいへんちがった「世界観」を抱くようになるのも当然であろう。そして、この二つの「異なる文化系」が接触し、対峙(たいじ)し、ときには衝突し、オーヴァーラップしはじめるにつれて、人類社会の歴史は、大きな変動を経験するようになってゆく。(本文より)

フォロワー