2011年11月24日木曜日

異質文化強制の結末

 清朝が、明をほろぼして中国を征服したとき、典型的な「文化衝突」があった。──漢民族は、もともとひじょうに「髪」というものを大切に考えていた。こんにちでも、漢民族と遠い祖先を同じくするといわれるタイ族がそうであるが、髪というものには、特別の神秘な霊力がやどっていて、親、長上といえどもみだりに触れられない、という一種の「信仰」がある。中国には、いうまでもなく、中国固有の思想、文化、風俗を「中華」として、これこそ「文明」であり、「人間の人間たりうる道」とする考え方が根づよくあった。したがって髪をたかく結い、寛衣をまとう漢民族の伝統を是とし、筒袖、ズボン、頭を剃(そ)って髪を弁髪にする遊牧民の服装を「胡俗」とよび、野蛮人の風俗として卑(いや)しめてきた。
 ところが、その遊牧民の清が支配者になったとき、逆に「漢民族は支配者の風をならえ」と強制され、頭を剃り、弁髪にしないと断首するという令が発せられた。「髪をとどむる者は頭をとどめず。頭をとどむる者は髪をとどめず」というわけである。漢人のあいだにはたいへんな抵抗感があったらしいが、「見せしめ」のため、数十万の漢人が実際に首を切られて、やっと剃頭(ていとう)弁髪の風が全土に浸透したという。 
 たかが「髪型」ひとつでこれほどの抵抗があり、何十万人もの犠牲が出るのである。──明治のはじめ「ざん切り頭をたたいてみれば文明開化の音がする。ちょんまげ頭をたたいてみれば因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする」などと、のんきな歌を歌って、われもわれもと「ニュー・ファッション」としてざんぎり頭にした日本では、およそ想像もつかない。──たかが髪型、服装、と軽く考えるが、これもあるばあいには、深く民族の深層意識に根ざした「文化」であり、「異質文化」が強権をもってこれを弾圧破壊したり変更したりしようとすると、それこそ「命がけの抵抗」をよび起こすことがある。
「信仰」の問題がそうであるし、また「言語」の問題がそうである。ひとつの系統のちがう言語が「国家的統一」のため、使用禁止になり、「生きた言葉」としては、葬り去られようとする例が世界には現在でもいくつかあり──たとえばバスク語など──これがはげしい抵抗や相互のテロリズムをひき起こしたりしている例もある。
「宗教」や「信仰」の問題は──もともとは、「人間の普遍性」や、「個人の絶対的尊厳」を説くものであっても──二つの方向で、数多くの「非惨」をまき起こした。ひとつは、その社会集団のなかで完全に「異質少数者」であるばあい、その「信仰」を強権をもってすてさせようとし、すてないばあいは信者を「抹殺」しようとしたケースである。もうひとつは逆に、宗教が強大な勢力と結んだり、それじたいが強力な集団を形成したりして、周辺部にその信仰を押しつけ、「伝道」のかたちで強制し、信じないものは武力でもって「抹殺」しようとしたケースである。
 ──前者は、日本のキリシタン弾圧の例で私たちにもよく知られているが、後者は、「大文明」のなかに醸成されたり、吸収されたりした「大宗教」のばあいに多く、ときには「文明」そのものが、そういう性格をもっていた。イスラム教の「聖戦(ジハード)」がそうであり、キリスト教の「十字軍」がそうだった。また、「大航海時代」のキリスト教の「伝道」は、カトリックの本山において「人間」と認定されなかった──認定すると「宣教師」を派遣せねばならず、当時は法王庁に金がなかったので──アメリカ原住民は、「野獣」あつかいで大量虐殺され、それを知ってあわてて法王庁が「人間」と認定するありさまだった。「異質文化」を強制し、その土地にあった「生えぬき文化」のかなりな部分を「異教」「邪教」「野蛮」として破壊した伝道活動は、同時に新しい「伝染病」ももちこみ、新大陸では五十年間に原住民人口を三十分の一にへらし、ポリネシアでも人口を三分の一にしてしまった。(本文より)

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