こうみてくると「異質文化」「異質文明」どちらでも、その接触のときには、悲惨なことばかり起こるようにみえる。──これでは、「文化交流」などやらないほうがいいかもしれない。
しかし、「異質文化の接触」が、つねに衝突と破壊の悲劇ばかりをもたらしたわけではない。ゆるやかな、しかもよく制御された「幸運な」接触は、相互に刺戟と利益をもたらした。人間の「叡智」によって、「異質文化」が相互に尊重し補完しあって、「より高い秩序」をつくるように「共存」する道をさがしもとめ、それに成功してきた例も無数にある。
たとえば、先ほどあげた遊牧文化と農業文化の接触でも、吸収合併によって強力な「軍事大帝国」をつくるばあいもあったが、よりおだやかな「共存」関係も成立しえた。──素朴なものでは、「刈り跡遊牧」がある。これはイランやトルコ、西北アフリカなどで今でもあるが、秋になって、北方から移動してくる遊牧民に、収穫のすんだ刈りあとの農地に家畜を入れさせてやるやり方である。作物の切り株や落ち穂などを食べて家畜は冬をすごし、家畜は良質の窒素肥料を耕地におとして地力を恢復させる。
また、中央アジアのオアシス都市では、都市の集積を定期的に掠奪(りゃくだつ)してくる遊牧民とのあいだに、一種の奇妙な妥協が成立し、都市民はなにがしかの財貨をわたすことによって、他の遊牧民の襲撃からの「防衛」え委ね、遊牧民はみずからを「養蜂業者」、都市を「蜂の巣」、都市民を「蜜蜂」にたとえて、「蜜」を定期的にとるには、「蜂の巣」を破壊し、蜂を殺してしまってはならないし、「蜜蜂の敵」たる熊蜂からまもってやらねばならない、と考えていた。(本文より)