2011年11月17日木曜日

異なる戦争文化の悲劇

 ところが、広大なユーラシア大陸では、遊牧系、農業系の異なる「文化」、異なる「戦争形態」を持つ社会が大規模な衝突をくりかえしたことが最近なで何度もあった。──そのもっとも顕著な例が十三世紀にアジア北方に興って、またたく間に旧大陸全土を征服したモンゴル族と、西アジア、東アジアの、はるか古代からつづいた「農業文明圏」との衝突である。
 サマルカンド、ニシャプール、バーミアンと、シルク・ロード沿いに栄えた都市を次々に破壊し、ある都市では、八万、三十万もの住民すべてをみんな殺しにしながら、モンゴルの軍隊は、ついに旧サラセン帝国の版図に「宗主権」を持つ、アッパーズ朝カリフの支配するイスラム圏の中心バグダードにせまって、これを包囲する。長い包囲戦もバグダードはよくもちこたえたが、城中からの裏切りよって、秘密の地下上水道の位置をモンゴル軍が知り、これが破壊されることによって、ついにバグダード側は「降服」する。──このとき、バグダードのカリフは、莫大な金銀宝石を「賠償」としてモンゴル軍にさし出すことによって「講和」をはかろうとした。
 これに対してモンゴル軍の司令官は、その賠償とともに、カリフと皇太子がモンゴル軍の幕舎にくることを要求した。「講和」のための会見と思って出かけていったカリフと皇太子は、その場で殺され、それを合図に大殺戮(さつりく)がはじまった。──一週間で二百万人が殺された、とある記録はつたえる。
 ここに「戦争文化」の異なる集団の衝突による悲劇がある。──七世紀に興るサラセン帝国は、有名な聖戦(ジハード)をやって中東から北アフリカへかけての広大な地域を「版図」におさめるが、そのやり方をみると、かならずしも「欧州十字軍」のフィルターをとおしてつたえられたような、「残虐」なものではなかった。
 前にも述べたように、砂漠の「遊牧民」ベドウィンは、この闘いの一翼を担うが、主体はあくまで、オアシス交易都市の「商業民」だった。そして、征服したのは、メソポタミアからペルシア、そして西インドにまたがる世界最古の「農業文明圏」なのである。この地域の戦闘で、なるほどたくさんの人間が殺され、捕虜が奴隷にされたり殺されたりしたが、基本的には、都市なり地域が、征服者の「権威」をみとめ、「賠償」や「貢物(みつぎもの)」をおさめれば、それで戦争は終結する。アッパース朝最期のカリフも、この地域のやり方で、「解決」しようとしたのである。
 ところが、遊牧民の伝統的「戦争」は、もし「全面衝突」の結果、勝敗がはっきりしたら、敗者はリーダーを中心にして、とにかく逃げられるだけ逃げなければならない。むろん、勝者は追撃戦にうつるが、追って追って、あまり「未知の土地」の奥深く入ると、ひとつには兵站(へいたん)線がのびすぎて、もうひとつには「後方」が不安になって追撃のスピードがゆるむ。すると逃亡側が若干の「反撃」にうつって、ここで双方の「停止線」がきまる。──つかまれば、同じ遊牧系なら、「人間家畜」型奴隷になるか、みな殺しされるか、とにかく生殺与奪(せいさつよだつ)は勝者の任意である。むろん、敗者の家畜は当然の「戦利品」になる。「賠償」とちがって、生命や国家の「代価」にはならない。だから、こときカリフは、万難を排して囲みを破って「逃げる」べきだった。
 この話は、私に「行動学(エソロジィ)という、動物行動科学のあたらしい一分野をひらいてノーベル賞をもらった、コンラート・ローレンツという動物行動学者のあげている面白い例を思い出させる。──ある動物園で、七面鳥の檻(おり)の修理のため、七面鳥を、種類としてよく似ている孔雀(くじゃく)の檻にうつした。翌朝見ると、七面鳥は首をのばして死に、そのずたずたになった死顔にオスの孔雀がなおもつかみかかっている。奇妙に思って、もう一度別の七面鳥を檻に入れてみると、次のようなことがわかって。七面鳥は、「よその鳥のなわばり」に入っておどおどしている。孔雀は「マイホームへの侵入者」に居丈高(いたけだか)に攻撃をしかける。そして七面鳥は孔雀の攻撃をうけて、「降参」の姿勢をとるのだが、ここに「行動パターン」、あえていうならば「文化」の悲劇的なくいちがいがあった。
 七面鳥は同士の闘争のばあい、「負け鳥」は「降参」の意志表示に、相手の前の地面に首を長々とさしのべる。七面鳥同士の争いなら、「降伏」の意志は相手にもつたわり、攻撃側に「抑制機構」が働き出し、攻撃がやむ。──というより、「勝者」が「それ以上の攻撃ができなくなる」のである。これによって、七面鳥の「社会」では、「順位」はきまるが、「殺し合い」はさけられるのである。よころが──皮肉なことに、七面鳥「文化」では、「降伏」のサインである相手の前の地面に首をさし出す、という姿勢が、孔雀の「文化」では、「挑戦」のサインだったのである。 
 こうして、あわれな七面鳥が、攻撃をうけてくりかえし「降伏」のしるしをとるたびに、孔雀のほうはまたもや「挑戦」をうけたと思って、死んでからまで攻撃をつづけたのである。(本文より)

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