文化の「差」は、何も生産形態だけで生ずるわけではない。細かくみてゆくと、同じ農業社会でも、無数のバリエーションが見出される──たとえば、地中海から中東へかけての小麦地帯と、インド東部から東南アジア、そして日本へかけての稲作地帯とでは、同じ農業基盤の社会といっても、かなり「文化」の様相がちがう。また、まったく同じ作物をつくり、同じような生活レベルであっても、かなり「文化」の様相がちがう。また、まったく同じ作物をつくり、同じような生活レベルであっても、行動様式がまったくちがう、といった例もみいだされる。
ニューギニアの高知、ケマプー河の上流に、ダニ族とモニ族という、きわめて原始的な種族が住んでいる。その社会を観察した人類学者の石毛直道氏の話によると、この二つの種族は、どちらもサツマイモ栽培とブタ飼養が生活の基盤であり、どちらも父系制で、嫁取り婚であり、一夫多妻で、どちらも男は開墾耕作をやり、女は栽培収穫をやる、という点ではまったく同じである。──だが、両者の「戦争」のやり方はまったくちがう。モニ族は、同じモニ族の集団同士で戦争をやるとき、双方の戦闘集団が、一定の間隔をおいた「前線」をつくって対峙し、矢を射かけあう。ひとりあたり十本ぐらいしか矢がないから、すぐなくなるので、その両集団の前線のあいだにおちた矢を、弓を射かけている下でそれぞれの集団の女たちが拾いあう。そして通常どちらかのなかに、怪我人や死人が出たら、それで戦闘はストップする。
ところがダニ族のほうは、戦闘に弓矢だけでなく槍(やり)を使い、敵対集団の居住地にこっそり夜襲をかけ、男たちを「みな殺し」にし、家屋に火をつけ、女たちをさらってくる、というのだ。相手方も、生きのこりが友好集団に援軍を依頼し、復讐の「殲滅(せんめつ)戦」をしかけてくる。──地域もまったくかさなりあって住んでおり、生活基盤も、社会の構成要素もほとんど同じなのに、どうしてこんな「戦争文化」に大きなちがいができたのかよくわからない。
ただひとつ、社会形態のなかで、ダニとモニとの「戦争」のちがいを生みだす原因になっているのではないか、と思われるのは、その「家族形態」のちがいである。ダニもモニも、父系制、一夫多妻である点では同じであるが、モニ族のばあいは、成年男子と妻子が、同じ家のなかに住む(ただ、奇妙なことに、家のなかが「男の部屋」
「女の部屋」にわけられていて、夜になると男は男の部屋にひっこみ、女は女の部屋にブタや乳呑み子といっしょに寝て、あいだの扉に鍵をかけてしまう。セックスは、昼間、屋外で行なわれる)。そして、男が開墾し、女が植え、収穫するという点ではダニ族と同じだが、男たちは、自分の畠を任意に耕すだけで、明確な「集団労働」はしない。
これに対してダニ族のほうは、男は十歳以上になると、すべて「男の家」で男はばかりの集団生活をする。「男の家」のまわりにたくさんの「女子供の家」があり、ひとつの家屋のなかに二組の母と子が住む(かならずしも、ひとりの男の二人の妻というわけではないらしい)。
男の労働である開墾も、完全な「集団労働」でやり、畠は、女たちが個人個人で持ち分けをきめて管理する。同じ「男の家」に住むのは、同じ「血族」の男たちであり、嫁も一定の血筋からもらう。移動するときも、「男の家」の全員が、「女子供」をひきつれていっせいに移動する。──これに対して、モニ族のばあい、子供が一人前になると、両親からはなれた所を開墾し、家をたてて住むから、モニ族の社会は、家と家とが一キロぐらいはなれてちらばっている。
この「男と女の住み方」のちがいが、ダニ、モニ両家の「戦争形態」のちがいの原因になっているかどうかは、まだ証明されたわけではない。しかし、いずれにしても、これだけ共通の基礎文化を持ち、居住地区も一部かさなりあって住んでいる二つの種族に、こんなに大きなちがいがあるのである。──ただ、この二つの種族にとって幸いなことに、戦争のやり方のちがう種族が衝突することはない。ダニ系はダニ系同士、モニ系はモニ系同士しか戦争をやらない。(本文より)