2011年10月28日。
これといった目的もなしに出かけた。
柏原市役所を通りすぎて、どこへ行けばいいのか分からずにいた 。
コンビニがあったので、おでんとタバコを買ってUターン。
市役所の駐車場で、おでんを食べた。
大きな地図で見る
地図で見ると、道明寺が近くだと分かるのだけど・・・?
(モノクロ写真にムラがある。現像ムラか、水滴防止剤の影響か?)
UFOが写っていたら、ええのやけどなぁ。
帰りに、大和郡山へ。
『奈良・町屋の芸術祭 旧川本邸』
2011年10月28日金曜日
遊牧社会の天敵
さらに、遊牧社会と農業社会とでは、その「天敵」がちがう。イネ、ムギの「敵」はせいぜい病害、虫害、鳥にネズミぐらいなものであろう。猪(いのしし)などが地面を掘り起こしたり、根菜を荒らすといっても知れたものだ。──これに対して、家畜の天敵は、草食獣をおそう獰猛(どうもう)な肉食獣である。アフリカ、サバンナ地帯では、ライオン、チータ、ジャッカル、ハイエナなど、新大陸ではピューマ、コヨーテなど、旧大陸では虎、熊は森林地帯に住み、草原狼は早く駆逐されたが、最大の敵は他部族の「人間」、つまり「家畜泥棒」であった。これらの獰猛な「敵」に対して、「生活の糧」を防衛するには、槍刀弓矢で「武装」しなければならない。そして、イネ科植物につく虫や病菌は、人間にうつらないが、同じ高等哺乳類につく虫や病菌は、人間をも同じようにおかす。ハエ、ブユ、カ、ノミ、シラミ、ダニは家畜、人間の双方を苦しめるし、ある種の家畜伝染病は、人間にも感染して、人と家畜以外に高等哺乳類のほとんどいない乾燥地帯では、ときには燎原(りょうげん)の火のごとく、家畜、人間集団を絶滅させるのだ。──遊牧社会における「伝染病との闘い」は、農業社会からは想像もできないほど、すさまじい様相を呈することがあるらしい。
もっとも徹底した方法は、危険な伝染病の発生した群れを完全に隔離し、できるだけ短期間に、一頭のこらず殺すことである。このとき、感傷やためらいは許されない。そんなことをすれば、ほかの群れ、ほかの集団に次々に感染し、一社会が潰滅(かいめつ)的な打撃をうける。「生きのびるための大量虐殺」であり、大量殺りくの技術が、「生活技術」としてとりこまれているのである。これは、のちにもっとくわしく述べるが、この「大量虐殺技術」は、もっと後代になって、たとえばジンギス汗の軍隊が中央アジアからイスラム世界へかけての「都市住民」を潰滅させるときにも応用された。
また、「伝染病発生」にあたって、その発生集団をとりかこみ全滅させるというやり方は、家畜のみならず、人間にも適用されて、帝政ロシアは、十八世紀にアストラカンでペストが発生したとき、これを軍隊で包囲して、市内に大砲をうちこんで全滅させたし、第二次大戦後、満州へ入ってきたソ連軍も、ある町におけるペスト発生時に、機銃と戦車で、まったく同じことをやったといわれる。さらにこの「伝染病」は、都市攻略などに逆用され、包囲下に抵抗すると都市内に、帰順者をよそおって伝染病患者を送りこんで陥落させた話や、また南米で、奥地のインディオ部落を全滅させるのに、森のなかの通路に、天然痘(てんねんとう)患者の衣服をつるしておいた、などという話はいくらもある。宗教的、思想的な「異端」も、一種の精神の「伝染病」とみなされたらしく、中世南仏のアルビ教徒、またカタリ教徒の絶滅のさせ方も、なんとなくこのやり方を思わせる。
とにかく生活の基盤を、「植物栽培」におくか、「動物集団の統御」におくかで、その「人間社会」に対する表象、発想、価値観といったものが、大もとのところでかなりちがってくることは想像できるであろう。──人間と家畜動物とは、生物学的にみて、きわめてちかい存在であるため、そこにはかえって「人間」と「動物」とを峻別するきわめて厳重な基準が生まれてきた。「血統」による優生学的処理、去勢技術、防疫、集団制御のさまざまな方法などがそれである。(本文より)
2011年10月27日木曜日
植物文化と動物文化
「衣食住」がみんなそのうえにのっている、という点では、稲作のばあいも遊牧のばあいもかわらないようにみえる。──しかし、両者のあいだにには、じつに決定的な差がある。それは一方がその生活をかけているものが「植物」であり、他方が「動物」、それも知能も、感情も、行動力も、基本的にはヒトとあまりかわらない「高等哺乳類」である、ということである。──早い話が、イネはどんなに大きくなっても、何かの拍子に「主人」にむかってかみついたり反抗したりすることはない。イネが人間になついたり、ちいさな苗が、母親からひきはなされて悲しそうに鳴く、などということはない。切ってもあたたかい血が流れるわけはないのである。
だが、「家畜」のばあいはちがう。──いかにおとなしくても、それは、人間とたいへんちかい「知能」も「感情」も「意志」も持った動物である。集団ともなれば、ときに「パニック」も起こす(パニックというのはもともと家畜の群れに、森の神、のち牧羊神などとよばれたパンの神がとりついて、暴走する状態をいう)。こういう連中を、生活のために大量に「統率」するためには、まず人間のほうが、たえず気をくばり、気持ちをしかっり持って、また反抗しようとするものに「対決」しなければならない。──そのためには、幼いころから家畜の「性質」に慣れ、「主人」として、群れの「スーパー・リーダー」としてその統御の訓練をうけなければならない。
こんにちでも、アジア遊牧社会では、男の子が十四、五になると、ひとりで二百頭ぐらいの羊の群れをあつかうが、それはまことに颯爽(さっそう)としたものである。「動物集団」をコントロールする、独自のシステム・ダイナミックスや、グループ・ダイナミックスは、幼いときからたたきこまれている。家畜に対しては、一種の「交歓」があるほど深い愛情を持ちながら、他方では、「反抗」するものには情容赦(なさけようしゃ)ないきびしい罰をくわえ、「脱落」しそうなものは苔をふるって追いあげる。──日本においては人民が「民草」などと表象されるのに対し、オリエントでは、たとえば「迷える子羊」や「よき羊飼」といった表象が使われるのは、むべなるかな、と思わせる。(本文より)
2011年10月22日土曜日
浄化
(10月20日のおまけ)
明日という字は、「日に音と書いて暗い」と読む。
ある人は、毎日が憂鬱だと嘆く。
「なぜ」と問えば、
仕事がキツイ・キタナイ・クサイ。
手取りが少ない。疲れがたまって、ツライといった。
この人たちの歴史って、よく分からない。
(Google地図より) |
住宅地の狭い間(赤い線の部分)を歩いていると、憂鬱な気分になった。
天満宮から道明寺駅へ向かう途中で、演歌が聞こえてきた。
なお、むかついて憂鬱度がマックスに達した。
今日のGoogleニュースから
松方弘樹・水野美紀"暴排条例"でテレビ追放! その裏にやはり「バーニング」の影?
日刊サイゾー-2011年10月18日から一部、転載。
特定の芸能人を「干してやりたい」という芸能関係者の思惑で情報が操作され、"芸能界浄化作戦"の一環に利用されたら、人権侵害にもつながりかねない。NHKや民放は出演者の身体検査をする前に、芸能プロとの癒着体質を検査し、浄化することが先決のはずだ。
個人的に浄化とは、「何か」を考えてみよう。
気分的にリフレッシュ出来るかもしれない。
意味不明なブログ内容になってしまった、内容なんて無いよ・・・?
2011年10月21日金曜日
イネ文化と乳文化
そして、この「遊牧社会」から分離していったにせよ、あるいは農業社会と別個に発生し、後者との接触を通じてさまざまな「技術」や「産物」をうけとってきたにせよ、古代文明の成立当時には、農業社会とは、別個の「文化」を持った社会として成立し、さらに「特殊化」していったと考えられる。
もっとも「特殊化」のすすんだ遊牧文化をその生活様式からみれば、日本の稲作文化のもっとも高度化した段階と同じくらい、「家畜」への依存度は大きい。──日本のイネ文化もある意味では見事なもので、コメは、それじたい必須タンパクをすべてそなえた完全食品であるから、食生活はビタミン類をのぞいてほとんど全面的にこれにたよればよく、コメでもって酒、調味料、菓子もつくれば保存携帯食もつくり、またヌカ、モミガラも利用され、ワラでもって、履物(はきもの)、容器、繩から、壁材、屋根、蓑(みの)までつくり、大豆とくみあわせてナットウをつくり、また肥料や家畜の飼料にまで利用するが、遊牧民の家畜利用度も、これと同じくらいに見事に発達する。
いちばん重要なのは、家畜の乳である。──私たちの想像とちがって、遊牧民は、のべつ肉を食べているわけではない。むしろ、祭り、宴会、客の饗応(きょうおう)といった、特別なばあいに去勢オスを食べる、といった習慣のほうがひろいようである(なかには肉はおろか、乳さえ飲まずに、ただふやしてよろこんでいるだけ、という妙な遊牧民もアフリカにいるが)。
乳はむろんそのまま飲むだけでなく、バター、チーズにするし、カードといって、チーズにする前の凝乳を乾燥させたものを携帯食などにする。凝乳の上ずみのホエーという液も飲むし、乳から酒までつくる。──乳は、私たちの「米」にあたる食品であって、その消費量は、日本人の年間消費量は、ひとり当たり二十キログラムぐらいだが、イギリス人でこの七、八倍になり、遊牧民はさらにその倍以上になるだろ。
乳のほかに、むろん肉を、内臓から尾まで食べる。骨の髄も食べる。さらに重要な食品は「血」である。家畜を殺したときはむろん、殺さずに「瀉血(しゃけつ)」して、これに塩を加えてかたまらせたり、腸詰めにしたりする。毛からはむろん、衣服、テント、敷物をつくり、皮は衣服、道具類を、それから腱(けん)は重要な加工材料になり、骨もむろん、各種の道具に使われる。家畜の尿は消毒用に、糞さえ重要な燃料になるし、極地ラップ人など、冬期馴鹿(トナカイ)の腸になかにつまったものを、重要なビタミンC源として、食べてさえいるのだ。(本文より)
2011年10月20日木曜日
遊牧技術
ところで、この「遊牧生活」というものが成立するうえには、ひじょうに重要な「技術革新」を何段階か必要とする。
──ひとつはむろん、野生動物を「家畜動物」に品種改良し、「固定」してゆくことである。人類が、いつごろから「家畜種」をつくりだしたかははっきりしない。現在でも、ユーラシア寒帯地域のツングースやラップといった人たちの馴致(じゅんち)遊牧においては、家畜種と野生種が同じ餌場に集まり、野生種をとらえて馴致、交配させることがときおり行なわれているらしいが、いずれにせよ、農業時代のはじまるころには、野生種から分離改良された、かなりりっぱな「畜種動物群」が出現していた、とみられる。
もうひとつ、「遊牧」に必要な技術革新は──これが「品種改良」にも大きな役割をはたした、ともいわれるが──「去勢」技術である。これも起源はいつごろかよくわからない。しかし、いかに「おとなしい」草原有蹄(ゆうてい)類であっても、やはり遊牧の対象になるのは、大型哺乳類である。雌雄同数いてこれがひとつの群れをつくっているとき、この群れを自由にあつかおうとしても、「外敵」に対する防衛や、群れの「統率」をひきうけるリーダー、サブ・リーダー──これは大型の成年オスがなるが──の反撃力は大きいし、まして交配期になってオスたちが発情興奮しはじめると、これはきわめて危険であって、手がつきられない。あれだけ人に馴れている奈良の鹿でも、交配期には、よくオスが人を傷つけることがある。
これに対して、もし生まれたばかりの子供のオスのなかから、将来のタネオスをいくらかのこし、あとを去勢してしまえば、その世代のオスたちが成獣になっても、問題はなくなる。──去勢されたオスは、おとなしい。しかもこの去勢オスは、乳は出さないし、繁殖の役に立たないから、ある程度大きくなれば殺して「肉」を食べてもかまわない。去勢されたオスは、体形が女型化し、脂も多く肉もやわらかい。
一方、何頭かのタネオスは、数が少ないので統御しやすいし、ところで去勢オスの大部分は、仔羊のときころされるのだが、そのうち何頭かは、小さいときから、人間が徹底的にかわいがると同時に、「反抗」に対しては徹底的にきびしく笞(むち)でしつける。──将来、この去勢オスがもっとも人間のいうことをよくきき自然に群れのリーダーになってゆくのだし、これを飼い主が「主人」としてしっかり統御できるように把握しておけば、将来群れの統御はきわめて楽だからである。また凡百のオスを殺し、一部は去勢して優秀なタネオスだけを選抜し、交配させてゆけば、品種の改良が急に進む。
こうして「去勢」によって、品種改良とともに、家畜の群れの大量統御、大量長距離移動が可能になり、はじめて「遊牧生活」が成立してくる。──こんにち、「遊牧」の対象になっている家畜は、ヒツジ、ウシ、トナカイ、タクダ、それに乗用としてのウマ、遊牧助手としてのイヌなどであるが、このうちでもヒツジなどは、もっとも遊牧に適した動物であると同時に、飼われだしたのもきわめて古く、一万年以上前からともいわれ、現在では、その野生種は、地上に存在しないし、「原種」らしきものもわからなくなってしまっているほどである。(本文より)
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