さらに、遊牧社会と農業社会とでは、その「天敵」がちがう。イネ、ムギの「敵」はせいぜい病害、虫害、鳥にネズミぐらいなものであろう。猪(いのしし)などが地面を掘り起こしたり、根菜を荒らすといっても知れたものだ。──これに対して、家畜の天敵は、草食獣をおそう獰猛(どうもう)な肉食獣である。アフリカ、サバンナ地帯では、ライオン、チータ、ジャッカル、ハイエナなど、新大陸ではピューマ、コヨーテなど、旧大陸では虎、熊は森林地帯に住み、草原狼は早く駆逐されたが、最大の敵は他部族の「人間」、つまり「家畜泥棒」であった。これらの獰猛な「敵」に対して、「生活の糧」を防衛するには、槍刀弓矢で「武装」しなければならない。そして、イネ科植物につく虫や病菌は、人間にうつらないが、同じ高等哺乳類につく虫や病菌は、人間をも同じようにおかす。ハエ、ブユ、カ、ノミ、シラミ、ダニは家畜、人間の双方を苦しめるし、ある種の家畜伝染病は、人間にも感染して、人と家畜以外に高等哺乳類のほとんどいない乾燥地帯では、ときには燎原(りょうげん)の火のごとく、家畜、人間集団を絶滅させるのだ。──遊牧社会における「伝染病との闘い」は、農業社会からは想像もできないほど、すさまじい様相を呈することがあるらしい。
もっとも徹底した方法は、危険な伝染病の発生した群れを完全に隔離し、できるだけ短期間に、一頭のこらず殺すことである。このとき、感傷やためらいは許されない。そんなことをすれば、ほかの群れ、ほかの集団に次々に感染し、一社会が潰滅(かいめつ)的な打撃をうける。「生きのびるための大量虐殺」であり、大量殺りくの技術が、「生活技術」としてとりこまれているのである。これは、のちにもっとくわしく述べるが、この「大量虐殺技術」は、もっと後代になって、たとえばジンギス汗の軍隊が中央アジアからイスラム世界へかけての「都市住民」を潰滅させるときにも応用された。
また、「伝染病発生」にあたって、その発生集団をとりかこみ全滅させるというやり方は、家畜のみならず、人間にも適用されて、帝政ロシアは、十八世紀にアストラカンでペストが発生したとき、これを軍隊で包囲して、市内に大砲をうちこんで全滅させたし、第二次大戦後、満州へ入ってきたソ連軍も、ある町におけるペスト発生時に、機銃と戦車で、まったく同じことをやったといわれる。さらにこの「伝染病」は、都市攻略などに逆用され、包囲下に抵抗すると都市内に、帰順者をよそおって伝染病患者を送りこんで陥落させた話や、また南米で、奥地のインディオ部落を全滅させるのに、森のなかの通路に、天然痘(てんねんとう)患者の衣服をつるしておいた、などという話はいくらもある。宗教的、思想的な「異端」も、一種の精神の「伝染病」とみなされたらしく、中世南仏のアルビ教徒、またカタリ教徒の絶滅のさせ方も、なんとなくこのやり方を思わせる。
とにかく生活の基盤を、「植物栽培」におくか、「動物集団の統御」におくかで、その「人間社会」に対する表象、発想、価値観といったものが、大もとのところでかなりちがってくることは想像できるであろう。──人間と家畜動物とは、生物学的にみて、きわめてちかい存在であるため、そこにはかえって「人間」と「動物」とを峻別するきわめて厳重な基準が生まれてきた。「血統」による優生学的処理、去勢技術、防疫、集団制御のさまざまな方法などがそれである。(本文より)