そして、この「遊牧社会」から分離していったにせよ、あるいは農業社会と別個に発生し、後者との接触を通じてさまざまな「技術」や「産物」をうけとってきたにせよ、古代文明の成立当時には、農業社会とは、別個の「文化」を持った社会として成立し、さらに「特殊化」していったと考えられる。
もっとも「特殊化」のすすんだ遊牧文化をその生活様式からみれば、日本の稲作文化のもっとも高度化した段階と同じくらい、「家畜」への依存度は大きい。──日本のイネ文化もある意味では見事なもので、コメは、それじたい必須タンパクをすべてそなえた完全食品であるから、食生活はビタミン類をのぞいてほとんど全面的にこれにたよればよく、コメでもって酒、調味料、菓子もつくれば保存携帯食もつくり、またヌカ、モミガラも利用され、ワラでもって、履物(はきもの)、容器、繩から、壁材、屋根、蓑(みの)までつくり、大豆とくみあわせてナットウをつくり、また肥料や家畜の飼料にまで利用するが、遊牧民の家畜利用度も、これと同じくらいに見事に発達する。
いちばん重要なのは、家畜の乳である。──私たちの想像とちがって、遊牧民は、のべつ肉を食べているわけではない。むしろ、祭り、宴会、客の饗応(きょうおう)といった、特別なばあいに去勢オスを食べる、といった習慣のほうがひろいようである(なかには肉はおろか、乳さえ飲まずに、ただふやしてよろこんでいるだけ、という妙な遊牧民もアフリカにいるが)。
乳はむろんそのまま飲むだけでなく、バター、チーズにするし、カードといって、チーズにする前の凝乳を乾燥させたものを携帯食などにする。凝乳の上ずみのホエーという液も飲むし、乳から酒までつくる。──乳は、私たちの「米」にあたる食品であって、その消費量は、日本人の年間消費量は、ひとり当たり二十キログラムぐらいだが、イギリス人でこの七、八倍になり、遊牧民はさらにその倍以上になるだろ。
乳のほかに、むろん肉を、内臓から尾まで食べる。骨の髄も食べる。さらに重要な食品は「血」である。家畜を殺したときはむろん、殺さずに「瀉血(しゃけつ)」して、これに塩を加えてかたまらせたり、腸詰めにしたりする。毛からはむろん、衣服、テント、敷物をつくり、皮は衣服、道具類を、それから腱(けん)は重要な加工材料になり、骨もむろん、各種の道具に使われる。家畜の尿は消毒用に、糞さえ重要な燃料になるし、極地ラップ人など、冬期馴鹿(トナカイ)の腸になかにつまったものを、重要なビタミンC源として、食べてさえいるのだ。(本文より)